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カレス(、)は、アメリカ合衆国メイン州南東部のワシントン郡に位置する市である。2010年の国勢調査では人口3,123 人だった。メイン州ではイーストポート、ハロウェルに次いで3番目に人口の少ない市である。市内にはアメリカ合衆国の国境検問所(通関手続き地とも呼ばれる)が3か所あり、セントクロア川を越えて、カナダ、ニューブランズウィック州セントスティーブンに入る。カレスは昔から商業の町であり、ワシントン郡東部とニューブランズウィック州シャーロット郡の主要なショッピング場所として認知されている。現在、小売業、サービス業、および建設業がカレス経済の主要な地位を占めている。 == 歴史 == セントクロア川とその周辺では、1604年にサミュエル・ド・シャンプランとその部下がセントクロア島で冬を過ごしたのが、探検された初めての機会だった。最初の恒久的な開拓者は1779年に入って来たジョーンズボロ出身のダニエル・ヒルであり、その他の者と共に1782年には最初の製材所を建設した。1789年6月27日、マサチューセッツ植民地議会がウォーターマン・トーマスに、1エーカー (4,000 m²) あたり19セントで売却した(2006年換算で1エーカーあたり約2.30ドル)。初期の産業は農業、狩猟、造船業だった。 1809年6月16日、プランテーション第5号が法人化され、アメリカ独立戦争の時にフランスがアメリカを支援したことを顕彰し、フランスのカレーを英語読みにカレスと名付けられた。川が工業に必要な水力を供給し、製材所、下見板や屋根板の製造所、製板所2か所、鋸工場、斧工場2か所、製粉所4か所があった。鋳造所、機械工場、花崗岩加工所、靴工場、革なめし場もあった。その他にレンガ、ベッド枠、箒、荷馬車、漆喰を生産していた〔 〕。 カレスと、隣接するカナダのセントスティーブンとの関係は、長い間かなり密接なものだった。この2町の長続きする友好関係の証拠として、米英戦争の時に、イギリス軍がカレスにいる敵アメリカ人から町を守るために大量の火薬をセントスティーブンに入れたが、セントスティーブンの長老たちはその火薬を7月4日、アメリカ独立記念日のお祝いにカレスに渡してしまった〔"PM opens new crossing". Saint Croix Courier, January 12, 2010.〕。 カレスにはメイン州で最初に建設された鉄道であるカレス鉄道があり、1832年2月17日に州議会によって法人化された。この鉄道はセントクロア川の対岸、ニューブランズウィック州ミルタウンにあった製材所から、2マイル (3 km) 下流の潮汐が及ぶ位置にあるカレスまで、材木を運ぶために1835年に建設されたものだった。1849年、鉄道の名前がカレス・アンド・バーリング鉄道に変えられ、さらに4マイル (6 km) 先のバーリングまで延伸された。1870年、この線はセントクロア・アンド・ペノブスコット鉄道の一部になった。 カレスは1850年8月24日に市として法人化された。南北戦争中の1864年7月18日、南軍のエージェントがニューブランズウィック州から国境を越え、カレスで銀行強盗を行おうとした。 カレス自由図書館は、ボストンの著名な建築家アーサー・H・バイナルが設計し、1893年7月4日に開館された。ロマネスク復古調のこの建物は2001年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された。 その他に市内で国家歴史登録財に指定されている場所としては、カレス歴史地区、カレス住宅歴史地区、デビルズヘッド・サイト、ギルモア家屋、トマス・ハミルトン家屋、ヒンクリー・ヒル歴史地区、ホームズ・コテージ、ジョブ・ホームズ博士家屋、セオドア・ジェリソン家屋、パイクス・マイル・マーカーズ、セントアンズ聖公会教会、ジョージ・ウォッシュバーン家屋、ウィットロックス・ミル灯台がある。 ファイル:Main Street, Calais, ME.jpg|メインストリート、1913年 ファイル:Calais Avenue, Calais, ME.jpg|カレス・アベニュー、1905年頃 ファイル:International Bridge, Calais, ME.jpg|国境橋、1913年 ファイル:Looking East from Bridge, Calais, ME.jpg|橋から東を望む、1908年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カレス (メイン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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